2011年09月07日

オーストラリア最後の日 自転車荷造り

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2008年3月10日(月)
Sydney 出国
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とうとう、オーストラリア最終日になってしまった。

朝飯を食ってチェックアウト。

出発は夜なので、荷物を保管室に預けた。

自転車の箱は乾いていなかったので、近くの自転車屋へ箱をもらいに行った。

店員さんは裏のゴミ箱から持って行っていいと言ってくれた。

自転車の箱がそのまま入る、大きなゴミ箱には何個も箱が入っていて、
一番痛みが少ない箱をもらっていった。

箱詰めは、昼ごろ終わり、前後のタイヤとチューブ、前後のキャリアを
放棄すれば、なんとか重量制限をクリア出来そうだ。

昼飯を食った後、箱のお礼に、不要になった前後のタイヤと、
前後のキャリアを自転車屋に持って行った。

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2011年08月12日

チェックイン後、Sydenyの街へ

昼まで、食堂やロビーをうろうろしていたが、
まだ部屋には入れそうにないので、
バスでサーキュラーキーへボートレースを見に行った。

しかし、それらしき物は有っていない。

ハーバーブリッジを歩いて対岸まで渡り、また橋の中間まで戻り、
行き交う船をしばらく見ていた。

帰りは、フェリーでダーリンハーバーまで行き、
その先は地図を見ながら、歩いて帰った。

沖の方から爆音が聞こえ、レースが始まったみたいだ。

宿の近くのスーパーの近くの交差点に出た。

スーパーで買い物して、ダンボールを貰って帰った。

自転車を箱から出して、箱を屋上に持って行き日光で乾かすが、
破れているので、おそらく使い物にならないだろう。

その間に、重量制限に引っ掛からないように、
タイヤとチューブ外しできるだけ軽くした。

最悪でもフレームだけは持って帰りたい。

今日の晩飯は、ラーメン、ツナ缶に目玉焼き。

シャワーを浴び、日記を書いて。

23:30就寝。

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2011年07月28日

前の宿に戻る

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2008年3月9日(日)晴 24℃
Sydney
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7時に起き日記を書く。

8時ごろ朝飯を食いに行ったら、前原の人は、もう食べ終わり、
出かけるところだった。

彼はこの春から社会人と言っていた。
この旅も社会に出ても目的を持って、悔いない生活を送って欲しい。

昨夜は、4人部屋にひとりだった。貸切状態で、気兼ねなく出来た。

10時ごろ宿を出て、バスでGlebeYHA行った。

昼まで掃除のためチェックインは待ってと言われ、
荷物保管室に荷物を置きに行ったついでに、
自転車の箱を見たら、まだ濡れていた。

突然、警報が鳴り全員外へ避難させられた。
しばらくすると、消防車が来たが、

何事も無かったみたいで、引き上げて行った。

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2011年07月19日

クレジットカードの罠

トラブルの予感

ブルーマウンテンのYHAで現金で払った。

インターネットで予約した際に、クレジットカードの番号の入力を求められた。
同じく、ここの予約もインターネットでした。

チェックインした際に、現金で払おうとした際に、クレジットカード引き落としだから、
払わなくていいと言われた事が、ずっと引っかかっていた。

朝マンリーに行く前に、二重払いになるんじゃないかと、
ここの受付に聞いて見たのだが、上手く伝えることが出来ない。

とりあえず、ブルーマウンテンのYHAに電話して確認してくれた。
やはり、クレジットカード払いになっている。

現金で払ったと言っても、うてあってくれない。(かまってくれない)

領収書もないし、やはり、二重払いになる。

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2011年07月11日

ユースには日本人

1時間くらいかかり、港から歩いて宿へ戻った。

晩飯を作るのにキッチンが空くのを待った。

肉を焼いて、テーブルに着くと、隣でスペイン語を話している。

話しかけると、チリからのグループ。早口でなかなか聞き取れない。

肉は固くて、まずかったので捨てた。

ラーメンを作った。

チリの人達から、トウキビをもらった。

ちょっとテーブルを離れて、戻った時には、彼らは居なかった。

食べ終わり苦手な日本人が居たが、日本人のグループに入った。

しかし、話には入れず。

今ここに着いたと言って、おいの横に、ひとり来た。

その人と話すと福岡の前原出身で佐賀と近いこともあり、九州の話しが弾んだ。

彼は、食料も無く、まだ晩飯を食べていないと言うので、そういうことは、
遠慮せずに言わないと、と言いながらパンを分けてあげた。

ブルーマウンテンで一緒だった人達は、いつの間にか居なくなった。

今度は苦手な人の居場所がなくなり、うろうろし始めた。

前原の人があの人はどうも合わないと言って来た。
おいだけでは無かったのか。

九州人には合わないのだろう。

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